2019年05月31日

旅行記 -遥けき巴里行物語 01 香港國際機場でのトランジット-

実は、3月半ばに相方とパリに行ってきた。



こんな風に書くといかにも行き慣れているように思われるかもしれない。
だが、実際にはフランスへの渡航はこれが初めてである。
これまでの生活が、予算は勿論、時間も余裕のある状態ではなかったから、
大学卒業以来海外には全く行くことはできていなかった。
今回の渡航は10年以上ぶりの欧州である。
それも別に予算や時間に余裕ができて決行したわけではなく、
半ば無理矢理予定を空けて、資金を捻りだして実現したものだ。


こんな状態だから、勿論直行便なんて使えない。
香港経由の便で行った。航空会社はキャセイパシフィック航空である。
大学の卒業旅行でのドイツ行きでも使ったが、それ以来の利用となる。
福岡を夕方に出る便で、香港に現地時刻で午後8時頃の到着。
その後4時間程度のトランジットがあって(これが長かった)、
ようやくパリ行きの便に搭乗。そこからは約13時間強の長旅である。

このまま自分の備忘録を兼ねてつらつらと書き続けてもいいのだが、
それだとあまりにもまとまりがないままとなってしまう。
なので、色々なテーマを設けて、今回の旅を書き記したいと思う。


今回は、香港の空港(香港國際機場)でのトランジットについて。


あいにく、写真は殆ど残っていない。
パリ行きの便を待つときに撮った、
「何でこれ撮ったの?」と思ってしまう写真があるくらいである。
理由は単純で、次便の搭乗口が中々掲示されず、
不安で写真どころではなかったからである。



IMG_3850.JPG
何でこれを撮ったんだか…。




そしてこの空港は本当に広い。
10年以上前のドイツ行きの時も利用して同じことを感じたが、
やはり広い。呆れるくらい広い。
羽田や成田はあまり足を運んだことはないけれども、
そんなものは目ではないくらい広いだろう。

日本帰りのトランジットもやはりここだったが、
何しろ接続時間が1時間強しかないので本気で焦った。
しかも次便の搭乗口はバスでしか向かえない離れ小島という有様。
行きは行きで時間に余裕はあったけれども、
何しろ搭乗口が判らないわ場内は広すぎるわでくたくたになってしまった。


この空港、お店は山のようにあるし、
ブランド物を普通に買える人々なら楽しい場所だと思う。
世界に名だたる名ブランドは大概揃っている。
食べる場所も多いので選ぶ楽しみもある。値段もさまざま。

ただ、搭乗口だけははじめに把握しておくことを強くお勧めする。
電光掲示板に出発時刻の時系列順に表示されるので、
それをあらかじめ見ておくとよい。
加えて、肝心の搭乗口の場所も確認しておくのが肝要である。
のんびり食事して搭乗開始数十分前となり、
いざ移動しようとしたら搭乗口が離れに離れていた、
などとなっては悲劇以外の何物でもない。
本気で間に合わない可能性が出てくる。
この空港の広大さを舐めてはいけない、特に私たちのように初心者の方は。


私たちは"Burger King"で軽食を取ったが、これは失敗だった。
「初心者の無知」と笑われるかもしれないが、
パリ行の便は夜0時発だったので、機内食は出ないだろうと考えていたのだ。
予想は見事に大間違い。しっかりとした夕食が出た。
私は胃下垂なので短時間で幾度も食べられないために、
結局その夕食は全く手を付けられなかった。
つくづく惜しいことをしたと思う。勿体ないことをした。

空港での食事は機内食とのバランスを考えることが大切だと思う。
私は今後、余程トランジットの時間が長くない限りは
食事を避けて珈琲程度にしておこうと考えている。
尤も、また行く機会があればの話だが。


因みに空港では香港ドルは当然として、
日本円やユーロなどでも普通に支払いが可能。
ただ、個人的にはクレジットカード決済が一番楽ではないかと思う。
もしくは今流行のQRコード決済。私は使ったことがないのだが……。


以上、香港空港(香港國際機場)のトランジットについてでした。


最後にどうでもいいが、「出国」の事を中国語では「離境」と言うそうだ。
同じ漢字文化圏だが使われる言葉が当然異なり、しかし意味は何となく分かってしまう。
漢字の文字としての凄さを感じるばかりである。


この文章の読了に、深く感謝。


posted by ネコハル at 08:05| Comment(0) | 雑記録(来訪記) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月04日

雑記 -親、この不可解なるもの-

ご無沙汰しております。



またもや更新頻度が落ちてしまっていた。
碌に更新もしていないのに、見てくださる方が一定数いるようだ。
大変有難い限りで、感謝至極である。

ブログを書かなかったのはほかでもない、生活がなかなか落ち着かないからである。
仕事が年始より変わり、自営業となった。
元々の基盤はあるのだからそんなに不安視する必要もないかなと思っていたらさにあらず、
内実が滅茶苦茶でその整理がまだ終わらない。
常にそのことが頭にあるものだから、ゆっくり休む気持ちになどなれないのである。



そして、今回過ごしてきた一連の流れは、
私に「親」というものに対する「諦観」と「他人」という感覚を一気に増大させる結果となった。

父親に関してははなからそう思っていたが、母親に関してもその感を強くした。

実家の家計の回り方は公私混同もいいところで、しかもどんぶり勘定の極み、
これでよく家が回っていたものだとあきれ返る程度のものだった。
自営業というのはどこもそうなのか。…いや、決してそうではないと思うのだが。
実際、通帳からいったい何が引き落とされているのか、
その精査から始めなければならない状態だったのだ。


その過程ではどうしても通帳の保管と記録が必要になる。
(ろくに帳簿もなかったのだ。それでよく確定申告ができていたものだ)
実家は自営業の他にも多少の不動産があり、
其方も併せて家計を回していたのだが、
その整理及び通帳の保管をこちらで行う旨を提案する過程でもめた。
父は不動産の通帳を手放したくはないという。
私たちとしては別に通帳を預かってその動きを記録するだけであって、
そのお金に手を付けることはないと説明しても、
否の一点張りだった。

父と揉めることははなから想定していた。
基本、自分がしてきたことを悪いとは思わない父である。
私から見ればよくここまでの高コスト体質を実現したものだと
あきれ返るほかない状態だったが、
本人はこれで回ってきたと胸を張っている有様。
こういう人間に自省を求めても無理な話である。


予想外だったのは母だった。
母ははじめ、こちらの意向に完全に賛同するかのような態度を見せ、
父のことを多いに批判していた。
(尤も、これはいつものことである)
通帳の管理についても賛同の旨を確認した。
本人に父との話し合いに出席するかどうか確認したが、
それについても答えは否だった。

ところが、話し合いの最中に偶然別用事で顔を出した母は激怒。
父に対してではなく私たちに対して、である。
彼女は一度はその場を離れたが、すぐ後に私にかかってきた電話で
曰く、私の妻の口調が酷いという。もっと丁寧に話せ、と。
私は当惑し混乱した。
彼女は日頃から、父に対しては非難囂々だったからである。
しかも別に妻は彼を一方的に責めていたわけではない。
彼が人の話を聞かないから、口調が激しくなっただけである。
話し合いの全体像を見てもいないのだから分からないのも無理はないが、
余りにも一方的にこちらを断罪する口調だったので、私も酷く腹が立った。
当然、電話で口論になったがまるで埒が明かず、私は電話を切った。

この話し合いはもう平行線のままだと思った私たちは、話を切り上げた。
そして、もう通帳の管理も何もせず、
私たちは、店子として自営で使うスペースを
家賃を払って借りるという普通の形式にしようと決めた。
あちらの家計を見る限りは数年で立ち行かなくなるだろうと思うのだが、
もうそんなことはどうでも良かった。


ところがその日の夜、両親から私だけが呼び出され、
挙句には昼に私たちが言ったとおりにする、と一方的に言われた。
時は夜の10時過ぎ。私は仕事で疲労困憊の状態だった。
良心は仕事も特になく過ごした後なのに対して、
此方は疲れ切っていた状態なのだがそんなことはお構いなしである。
私は適当に返事をしてその場を切り上げた。
いや、はじめは少し口論になった。
その際には「私の妻を嫌っている」という旨のお言葉まで、母からは頂戴した。


この日以来、私は両親をまるで理解できなくなった。
特に母については。
結局、彼女の本音にあるのは、
父のしていることは気に入らないが、
家のことを(特に妻に)色々言われるのは面白くない、
と言ったところなのだろう。
また、口論の後で母から送り付けられてきたメールによると、
「家計を実家とこちらとで明確に区分したい」
という私の発言が気に入らなかったようだ。
しかし、この発想は実に当たり前だと思うのだが……。
そもそも、大して儲かってもいないのに
倹約の影も見えない実家と家計が一緒では、
此方はどれだけ肝を冷やす羽目になるのか想像もつかない。
考えるだに恐ろしい。

考えてみれば、ここまで実家の家計を放置してきたのは母である。
「父が握りこんで見せようともとしなかった」と彼女は言うが、
そうであれば、そんな相手と結婚したことがそもそも誤りである。
実家の家計がこの有様に至ったのは、結局2人の責任である。

いや、家計だけではない。
あの家はまるで合わない2人が一緒になった、不幸そのものだった。
そこに生まれる羽目になった私は、その意味で両親を恨んでいるほどだ。
子どもなど作らず、さっさと別れれば良かったのである。
ずるずると離婚せずにいる過程で、
私は幼少期にネグレクトを受け、自己信頼を涵養することもできず、
小学校中学年からは過食症にまで陥ることとなった。
(父はそんな私を化け物と呼んだ。未だに覚えている。小学校5年の頃だ)
そして未だに両親に対してトラウマを抱えている。
とても子育てに成功したとは言えまい。俗に言う立派な毒親である。
私の人生は、いまだにあの2人に振り回されている。


取り敢えず、今は両親とも表面的な話に終始し、深い話は全くしていない。
恐らく一生そうしていくのだと思う。
身を入れて話す気力も起きず、向こうの本音と建前がまるで見えない以上、
結局それは虚しさを助長する結果となるばかりだと考えるからである。



ただ、本当は私がしっかり1人立ち出来れば良いのだが、
それは実現出来なかった。

偏に私の能力不足である。
30数年間足掻いては見たのだが、出来ず仕舞いなのが情けない。
その意味で私も親に依存している以上、偉そうなことは一切言えないのも確かだ。
今出来るのは、自営を潰さないように必死に努めるしかない、
ということだけだと考えている。



この文章の読了に、深く感謝。


posted by ネコハル at 07:26| Comment(0) | 雑記録(徒然有随) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月10日

雑記 -親の入院によるドタバタ-

ここのところ私事で多忙となり、折角再開したブログも全く更新できていなかった。


何で多忙かというと、
親が入院してしまったのである。

幸い私が会社を辞めた後だったから時間はあるのだが、
そのせいで右往左往する羽目になり、
全くブログに向かう時間は取れずじまいだったのだ。

入院することが突然決まったその日、いや正確にはその次の日、
もう明け方である朝の4時に家に帰り着いたときには心底疲弊していた。
その後も、好きなファッション関連のサイトも、
暇つぶしにやっていた通販サイトの楽しい巡回もほとんどできず、
病院に行ったりあれあこれやを整理したり、
何ともあわただしく時間が過ぎていったのである。

そのくせ倒れた本人(父親だ)は感謝の言葉など一言も言わず、
言うのは自分の不満と要求ばかりで、
こちらの徒労感は高まるばかりだった。
こんなに実りのない雑事も珍しい。


因みに、まだ検査結果も医師から説明してもらっていない。
そもそもの入院要因があまりにも情けないものだったので
ここに書く気にもならないが、
私たちは今日の段階で、今後の見通しや退院の時期など、
普通だったらそれなりに説明がありそうなことが
まだ何もわかっていないのである。
勿論ただ指をくわえて説明を待っていたわけではない。
此方からナースステーションに出向き、尋ねた結果がこの有様である。

個人的には彼が退院しないほうが色々平和なので
別にその時期は先でも良いと思っているが(母も相方もそう思っている)、
何しろ無駄に体が頑丈なので病院が終の棲家となることはまずあるまい。
そうであれば、その時期が判らないのは却って困るのである。

大体、時期が時期である。
実家は自営業だから、確定申告を行わなければならないのだ。
勿論父以外で一年間の経理を把握している人間なんていない。
彼が会計を一人で回し続けて、此方が開示を要求しても
ロクに応じなかったのがこの結果である。
最悪の場合、PCと書類をに病院へ持ち込み、
書類を作成させなければならないだろう。


というわけで、まだしばらくは忙しそうな様子は続きそうである。

いつになったら平和な日々は戻ってくるのか。
うんざりした疲労を抱えながらやっと過ごす、久々の休みである。
(それ位色々準備したり動く羽目になっていた)


この記事の読了に、深く感謝。
ラベル:入院
posted by ネコハル at 11:40| Comment(0) | 雑記録(徒然有随) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする